15日から大学入学共通テストが開催され、学生の頃のことなどを思い出したので書いてみました。少し長文です。自分の記憶の確認も含めています。

表題のとおり、『獣医学の勉強をした、麻布獣医科大学 獣医学部 獣医学科』という1大学1学部1学科、世にも珍しい単科大学です。獣医学の分野では麻布のみである。友人たちが入学した都内の文系総合大学に数回、遊びに行ったことがあるが、人・ヒト・ひとで驚いた印象が残っている。

 

 

 

大学創立90周年(1980年)に卒業生と学生に贈呈された馬の蹄鉄の壁掛け。

新潟ねこの病院のロビーにかけてあります。

周年事業になると牛や犬・猫ではなく、大学の歴史上、馬が登場します。

 

 

 

 

写真は牛の内科学実習のときだったかな?

牛が動かないように保定していたら、白衣が汚れた。

実習は班分けで、私の班は女子が多かったので、いつも大型動物を保定するのは、

自然と私の担当になっていたように思う。

同じ授業料をだしているのに合わないな(支払っているのは親だが)。

牛は暴れる猫よりも保定しやすいのだ!!これホント!

 

誰が何の目的で撮った写真かは覚えていない。

でも、少しポーズをつけているので、偶然ではなく何かの目的があったのだろう。

白衣に長靴、バランス悪いな。

多分、23歳ころかな。長髪だね、このころはみな、こんな髪をしていたような気がする。

 

 

麻布獣医科大学は現在、2学部5学科となり、獣医学教育だけではないため、麻布大学と名称変更をしている。当時の学生は大学名に日本で唯一の“獣医科大学”に入学したという気概があった。(獣医学科は農学部のなかに位置しているところが多い。また卒業後、獣医師免許の資格取得のための国家試験を受験できる大学・学部は16校である。2年前からは17校になったが、まだ卒業生はでていない)。当時、獣医学部の名称は、私立では麻布獣医科大学、国立では北海道大学の2校のみであった。

さて、麻布大学に話を戻すと、創立は1890年(明治23年)で、今年で創立132年になる。

東京市麻布区本村町、現在の東京都港区南麻布に東京獣医講習所という名称で開学し、その後は麻布獣医学校、麻布獣医畜産専門学校などと変遷し、当時の教育は馬学が中心だったらしく、馬医学の授業や実習そして装蹄学などが周年事業の配布物などでみられる。

大学の一大転機は1945年(昭和20年)の5月に戦災により施設が焼失したことであろう。その後の2年間は都内の各地を移動して授業を続けたということである。また戦後、国から神奈川県相模原市にある、国の陸軍兵学校跡地を紹介され、そこに移転し通常の授業が再開されたのが1947年(昭和22年)年であった。南麻布の麻布大学跡地には『麻布大学発祥の地』として、記念碑が建立されている。大学の再建とその後の校舎の建築などには、教員や卒業生また当時の学生の父母などから寄付があったという話を聞いたことがある。大学は神奈川県相模原市に移転したが、大学名には歴史のある“麻布”を残して、麻布獣医科大学として存続した。そして、現在の麻布大学になった。

昨年、菅総理のときに日本学術会議が話題になったが、日本学術会議議長が獣医学分野から選出されたのは、その後も含めて当時の麻布獣医科大学の学長ただお一人である(現在は故人)。

また私が卒業した後のことではあるが、秋篠宮紀子さまの弟さまは麻布大学の獣医学科をご卒業された獣医師です。

現在、獣医大学は難易度が高く新潟など地方から入学するのは難しくなってきています。麻布大学も例外ではなく現在、1年生から6年生まで、入学定員は1学年120名ですが、新潟県出身者は6年生が2名いますが、1~5年生は0です。6年生が3月に卒業し、新1年生が入学しないと新潟県人は0名となります。

いくつかの試練を乗り越えて存続した私立・麻布獣医科大学は独特なカラーがあり、麻布という名称からくる都会的な印象だけではなく、臨床と研究という質実剛健さもみられる。先輩たちから伝え聞く話では、1960年代後半から1970年前半に起こった学生運動などもなく、純粋に獣医学の勉強ができたといわれていた。

そういえば、いつかの大学の同期会で誰かがつぶやいた。

男性:『麻布獣医科大学が相模原ではなく、南麻布にあったら、獣医師免許の取得はおろか、卒業もできていなかったかも知れないな?』

女性:『ねえ、どうして?』

男性:『だって、南麻布にあったら周辺には楽しいところがいっぱいで、誘惑が多いだろ。20歳前後だし』

参加者一同:『・・・・・・・・』

 

・・・・・・・・これは、一同、『なるほど』という意味合いです。