ペンネームのときと超人的(超猫的)な活動や行動をするときは Esper SABU(エスパー サブ)という。
ボクは猫の小嶋さぶ吉です。ペンネームはEsper SUBU(エスパー サブ)といいます。
たま~に、佳彦(猫のパパ)の代わりにブログを担当します。人の言葉は大体理解できます。
でも、いろいろと面倒だから、人の言葉は知らないことにしています。
佳彦(パパ)のところに来て1ヵ月(生後6ヵ月齢)
ボクはパパと暮らしています。
そして、ボクはパパから、『ビックボス』と呼べ、と言われているけど嫌なので、自宅では“パパ”と呼び、ねこの病院では、猫先生と呼んでいます。スタッフはパパのことを院長と呼んでいるし、薬や器械などの営業に来る人からは先生といわれているようだが、何の先生なのだろう?
ボクのなにがエスパー(猫の超能力者)なのかというと、パパが2年前の4月に新潟ねこの病院を開院してから、猫先生の心のなかがみえる、みることができるようになったのだ。猫先生の前世にも行き来することができる。未来にも行けるが、未来のことも知っているということをパパは知らない。教えないでおく。
理由は、パパに未来もいいことが続くというと、すぐ、さぼる癖があるのだ。困ったものだ、子供のころから、そのあたりは変わらないそうだ。亡くなった祖祖母(ひぃばあちゃん)が、言っていたよ。ボクもパパと9年間いっしょにいて、そう思う。あ、そうだ、ボクは瞬間移動(テレポーテーション)もできるよ。テレパシー(言語・表情・身振りなどによらず、その人の心の内容が直接、他の人に伝達されること。精神感応ともいう)もできるよ。人の世界ではガラケーからスマホとかいうおもちゃが流行っているそうだが、猫の世界ではテレパシーが常識なのだ。5G(新潟は、まだ4Gだな)なんて、昔の話さ。猫の世界は100Gだよ。知らないのは人間だけだよ。
エスパー、テレポーテーション、テレパシーなんていうのは、パパが子供のころに流行ったSFの世界のことだと思っていたが、現代にも通じるところがありそうだな。
エッヘン まず、ボクの自己紹介をしておこう。
〇本名 小嶋 さぶ吉(こじま さぶきち) 通称はさぶちゃん
〇名前の由来 ボクがパパのお家に来たとき、男の子で8歳のタロ君(タロちゃま、タックンともパパは呼んでた)とジロ君(ジックン)という、やんちゃな兄弟猫がいた。そして3番目の男の子という意味で、『サブ』とした、とパパがいっていた。でも、少し硬いので、ひらがなで『さぶ』とした。そして、ボクがつらい数カ月間を過ごしていたので、幸せになるようにと『吉』をつけてもらい、『さぶ吉』となった。ボクはパパにつけてもらったこの名前をとても気に入っている。
そういえば、ボクの友達(女の子の猫)の飼い主は、猫に名前をつけ、それが前のガールフレンドの名前だったらしく、騒動があったらしい。内緒だよ。(教訓:猫でも前のボーイフレンドやガールフレンドの名前をつけてはダメよ!!)
〇ボクは日本猫 男の子 9歳8カ月齢 キジトラ パパのところにきて9年3カ月、とっても幸せに暮らしている。パパはボクの歯と爪と体重をみて、生後5カ月齢と判断したが、なんでわかったのだろう。
〇出身地 五泉市(旧 村松町エリア)
〇卒業した学校
・新潟市中央区内の猫の自動車学校
猫の世界での自動車学校は陸だけではなく空も飛べる運転ができないと免許はもらえない。空気自動車、つまりエアカーは、いまや猫の世界では常識だ。
・東京ねこの専門学校 ねことひとの関係学科 日本ねこコース専攻
所在地 東京都渋谷区渋谷駅近く 若いときは東京に行かないと!
1年制(人間の学校の3年制に準ずる)の専門学校で入学定員は100名。日本国籍をもつ日本猫80頭、海外からの留学猫20頭である(フランスから留学してきていた栗色で巻き毛の被毛の、尾の長~い猫の女の子もいるよ。名前はエマ。まつ毛も長いよ。・・・・・ボク、ちょっと好みかも・さぶ吉)。
通学経路
新潟駅から上越新幹線の猫専用席(猫は全席指定のグリーン席なのだ)で、人間みたいにパソコンで予習しながら東京駅経由で渋谷駅に着く。ボクは人間と違い、新幹線の車内ではキーボードの音はうるさくないように配慮しているのだ。瞬間移動もできるが、あえて人間の真似をしている。そして時間の余裕をみて、忠犬ハチ公前で、パパが用意してくれた朝食を食べ、スクランブル交差点を渡り、渡りきったところにあるスターバックスで、スマトラかカフェラテを飲むが、猫舌なのでオレンジジュースのときもある。パパが自由に使えるお金が減るけど仕方ないな。ゴメン PAPA。
あ、そうだ、渋谷のスクランブル交差点は毎日テレビで映るから、ガールフレンド以外の人と手をつなぐのは注意しないといけないよ。ボクの言っていること分かるかな? ガールフレンド、ボーイフレンドいない歴イコール年齢の人には、分からないよね。(文責 さぶ吉)
〇乗っている車 自分の車は持っていないので、今はパパが乗らないときに借りている。パパはいつもお仕事しているから、車はほぼ、24時間、ボク専用だ。
ボクとパパはホームページの案内にいっぱい載っているよ。
2月3日の節分の写真をクローズアップして掲載するよ。
ボクはこんなことをホントはしたくないけど、パパ一人に恥をかかせるわけにはいかないので、喜んでお面をかぶったのだ。
パパはまじめそうな顔をして仕事しているけど、仕事以外は結構ふざけるのだ。そういえば、はやくコロナ禍が終了し、夜に食事にいきたなといっていたな。食事だけだったら昼でも夕方でもいいのにな?
〇ボクと佳彦(パパ)が一緒に生活をするようになったきっかけ
涙なしでは聞けないよ。まず、ハンカチとティッシュ用意してね。
ボクの出身は五泉市(旧 村松町エリア)で農家の作業場の一角で生まれた。一緒に生まれた妹もいた。これはボクのお母さんから聞いたけど、ボクは覚えていない。ボクと妹とお母さんは、人間の世界の言葉でいうと『野良猫』というらしい。ボクはこういう言葉で呼ばれるのは嫌いだ。ボクは悪くない。僕たちは作業場で隠れて住んでいたが、おばあさんが食べ物を運んでくれて生きてきた。ネズミを食べたり、ほかの動物を食べたりしたことはなかった。
ある日、猫を捕獲する人が来てボクは捕まった。ずっと後で聞いた話だが、妹は驚いて逃げてどこに行ったか分からなくなったそうだ。
ボクと妹とお母さんを引き離したその人を恨んだが、彼はこれが仕事だった。
そして、捕獲されたボクは秋葉区にある新津保健所に行き、しばらくして長岡市にある動物管理センターに連れていかれた。そこには猫がいっぱいいて、ケージに入っていた。
ボクはここでどうなるのか不安でいっぱいだった。友達もできなかった。
ボクの後からきた猫から聞いたが、ボクのお母さんは、おばあさんの家のリビングで幸せに暮らしているという話を聞いてうれしくなった。お母さんに会いたい。お母さん、ボクを助けて、会いたいよ。ボクの声はお母さんには届かなかった。ボクはどうなるのだろう。
ある日、朝から大勢の人が、ボクたちが収容されているところにある会議室で、会議をし
ていた。お昼になり、ボクたちのいるところに“見学”といって入ってきた。
しばらくして、ボクはなつかしい、あったかい気持ちになった。生まれてから経験したことのない何とも言えない感覚だった。お母さんのことを思ったときの感覚と似ていた。
振り向いたら、知らない見たことのないおじさんがじっとボクをみていた。怖いというより、昔に会ったことがあるような気がした。このおじさんは係の人にこの猫(ボクのこと)をもらいたいけどいいかなといった。
準備をして、1週間くらいしてまた来るといって帰った。
ボクは知らないおじさんの家に行ってどうなるかと不安な日々を過ごした。
とうとうおじさんが、ボクを引き取りに来た。今度はどこに連れて行かれるのだろう。不安でいっぱいだった。
着いたところは、秋葉区だった。ボクが生まれた五泉市の隣だ。犬や猫がいっぱいいた。世間でいうところの動物病院だった。ボクは生まれて初めて血液検査とシャンプーをした。血液検査は嫌だったけど、シャンプーは気持ちよかった。予防注射とかいうのも受けた。痛かった。ご飯は今まで食べたことのない、おいしい栄養満点の食べ物だった。このおじさんはボクをとっても大切に育ててくれた。猫の自動車学校や東京渋谷の猫の専門学校にも行かせてくれた。おじさんは口癖のように、まず、猫は勉強をして学力(学ぶ力)をつけて、食べることが一番大事だといって育てられた。このおじさんはボクのパパになる人だった。
つづく・・・・・また気が向いたら書くよ。 さぶ吉