小学校と中学校の同級生の良夫君から2年前にいただいた、
新潟ねこの病院開院のお祝いメッセージ
4月15日になると、新潟ねこの病院は開院3年目に入る。
コロナ禍がスタートしたなかでの開院だった。知人たちからは中止または延期をしたほうがいいのではないかとアドバイスをもらった。
心配してくれてありがたいとは思った。しかし本当はコロナ禍だといって否定されるよりは、コロナ禍でもやると決めたからには頑張れという前向きな言葉が欲しかった。
建物ができ、医療機械が入り、薬がそろい、4名のスタッフは開院前から仕事に来ているのだ。チラシも配布した。ここでやめたら20年前から万代で猫の病院をやると決めたのがなしになってしまう。今やらないで、いつやるのだ。・・・いまでしょ・・・ちょっと古いかな?
私はなぜか子供のころから、何かをしようとすると(行動を起こそうとすると)いつも困難が襲ってくる。楽な道と困難な道が出てくると、必ずといっていいほど困難な道に進む。
なんでだろう? 何かに押されるように、導かれるように進んでいく。
今回は大勢の猫たちに背中を押されたのかも知れない(笑)。
現在は横浜市在住で小学校と中学校の親友の良夫君は、私が忘れていたようなことを彼は覚えていた。
彼から2年前の4月15日の開院時に花とメッセージをいただいた。メッセージは以下のとおりである。
良夫君からいただいたお祝いメッセージ
本文中の彦八(先生)というのは、父が生きていたころの私の家の屋号である。
良夫君、ありがとう。とってもうれしかった。
23年前の1999年に発行した『ペット大好き!新潟のペット119番』
私がはじめて出版した書籍は23年前の1999年に新潟日報事業者から『ペット大好き!新潟のペット119番』というタイトルで、こんなことが書いてありました。そのあとがきには、「(略)著者は小学2年のとき、新津市の秋葉山に遠足に行きました。展望台から見わたす景色はとてもすばらしく(略)。
そのとき、大人になったら秋葉山のふもとに住みたいと思いました。現実になるとは、考えてはいませんでしたし、もちろんそのときは、動物病院を開院するなんていうことは思ってもみませんでした。
ずっと忘れていたことでしたが、動物病院の開院を決めたとき、迷わず新津市の秋葉山と心に決めました。潜在意識とは本当にすばらしいものです。(略)
いまにして思えば、不思議なことに秋葉山の高台に位置する小島動物病院アニマルウェルネスセンターからは、現在の新潟ねこの病院がある中央区のあたりがよく見えるのだ。周りには木があり見えないのに、そこだけ見えるのだ。
偶然とは思えない。何かがそのようにしているように思う。猫たちが背中を押しているとしか思えない。
秋葉山で開院したときも、現在の万代で開院したときも迷いはなかった。思った道に進むのみである。一般的には動物の頭数とか猫の頭数とかをみて開院場所を決めるというが、私の場合はそういうことは一切なかった。
「そこでやりたかったからやった」ということであった。まさに動物的な感覚である。そういえば、みんなも知っていると思うが、猫もパソコンに入ったデータに基づいた行動はしないようだ。
猫は人に強要されるのは、嫌なのだ。
獣医学的な仕事はデータに基づいて診療を進めていくが、それ以外は自分の感性とか直感とかいうのを大事にしたい。感性を鈍化させないためには、なんでも興味を持って行動し、若い人の話を大事にすることであろう、と思う。
最近、人の話をよく聞くとか、聞く力とか言われている。それは間違いではないが、自分がどうしたいかということを最優先で考えたい。
いい意味で、若者・ばか者・よそ者、そしておばあちゃんのいうことはよく聞くことである。
人生100年というが、健康寿命は100年もない。
人に迷惑をかけない範囲で、自分の好きなように生きたい。